2010年05月03日

憲法記念日 9条について

 憲法記念日、の所感。

〈9条について〉
「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」

 学生の頃、自衛隊は違憲か、合憲かというテーマがありました。憲法9条を読んですなおに判断すれば、自衛隊は戦力であるから違憲であると思っていました。憲法9条は、戦争への反省から、戦争をしないためにその手段である戦力(軍隊)を保持しないことを宣言していると解釈していました。
 ところが現実には、戦力である「自衛隊」が存在している。違憲な存在に予算付けしてその存在を容認している政治とは何なのかと思いました。

 戦後政治の出発点が、日米安保の体制下でのアメリカ占領下からの独立という経緯に規定されていたことと、日米安保体制が、アメリカの朝鮮やベトナムへの戦争政策への追従を余儀なくさせた経緯の中で、自衛隊という「戦力」が設立され拡充されてきたといえます。

 自衛隊を容認する主張のひとつに、「誇り論」があり、自衛隊勧誘などに利用されています。国や故郷や文化の「誇り」を守るために「戦力」が必要だという論理です。また「抑止論」からの主張もあります。侵略から「国」を守るために「戦力」が必要であるという論理です。
 しかしそこには、先の戦争が侵略した利権を守るための「防衛戦争」と位置づけられていたことへの反省がありません。近代史上、すべての戦争は「防衛」を口実に発動された「防衛戦争」であり、侵略を口実にした「侵略戦争」は存在しません。
 誤りを認めない「誇り」とは、「誤り」の上に「居直り」を上塗りした「独善」でしかなく、誰にも尊敬されません。相手にされません。

 また仮に、北朝鮮が日本に対して戦争を発動しようとするならば、「防衛戦争」としての大義が必要です。理由もなく戦争を発動することはありえません。したがって、北朝鮮が日本に対して戦争を発動する理由は、(経済制裁以外には)考えにくいというのが自然です。同様なことは、韓国、中国、ロシアなどすべての国について当てはまります。

 なお先の太平洋戦争のとき、連合国側の経済制裁に対して日本はその「防衛」を主張して戦争に踏み込んでいきました。右翼・ファシストらが主張するように、先の戦争が正しい戦争であるとするのであれば、現在の北朝鮮が日本などに対して「防衛戦争」を発動することも正しいことになります。しかし、そんな詭弁は国際社会に通用しません。幸い、現在の北朝鮮指導部が、当時の日本指導部よりは冷静、優秀であるから戦争にいたっていないともいえます。

 そうであれば、戦争抑止の手段は「防衛戦争」の口実を排除するための「友好」政策に尽きると思います。パワーバランスから戦争抑止を主張する論法は、防衛官僚と防衛産業を利するだけです。
 自衛隊は解体してその能力を緊急救援などの民生用に転用すべきです。

posted by 三千光年 at 11:39| Comment(0) | 書簡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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